良寛の作品鑑賞

ここでは、代表的な良寛の4作品を鑑賞します。

漢詩 「柳娘二八歳」

 若干語句が変わった同趣の作品が「草堂詩集」の「天巻」と「人巻」に載り、「天巻」の詩の四聯は「行人皆睥睨」とあります。「睥睨」は横目で眺める意味で、詩趣が似ているように思える寒山詩に出てきます。このことから、この詩は寒山詩を模した作品と解説した著書がありますが、両者を詳しく比べてみれば、良寛の詩には彼特有の意趣が味わえます。

 「一見すると、道で若くて柳の枝の様にしなやかな女性を見かけた、美人賛歌の作品と見れます。しかし、その真意は「諸行無常」、形あるものは常に移ろいゆくものである。どんなに若くて美しい姿もその時だけで、必ず年老いゆくものであると「諸行無常」を説いた作品と読めます。」

漢詩「憶在円通時」

 最も良く知られている良寛の詩の中の一首で、同趣の作品が四つの良寛の詩集に載っています。これらの詩集は五合庵時代に編まれたもので、四聯に「三十年」とあることから、この詩を良寛の六十代の作品とするのは誤りです。他にも詩に詠まれた数字から作詩の年代を推測することが出来ない例は幾つかありますので、注意を要します。

 二聯に中国禅宗の古老である龐公と老盧の故事を引いて、円通寺での仏道修行の励みようを謳っていますが、これによって今の自分が完成したことの恩義に涙するという、最後の聯が効いています。

 この作品が軸装された大幅の墨蹟は他に知りませんので、貴重な遺墨であると思います。

漢詩 「今日乞食逢驟雨」

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 良寛五十代に詠んだ詩ですが、良寛はこの詩を生涯詠み続けます。それだけに、良寛にとってこの詩が特別な作品であることが分かります。

 意訳「今日托鉢をしていると俄か雨に遭い、慌てて古い祠に逃げ込んだ。少し落ち着いて辺りを見ると、そこはお寺ではなく古いお宮だった。私はここで、自分という者に気づいたのである。私は破家風(僧侶としてもっとらしい言葉)を吹かせて、托鉢の鉄鉢とお布施を入れる袋さえあれば生涯を清々しく生きることができる、と言っていた。それが、たかが俄か雨でお寺とお宮を間違えて逃げ込むほどに慌てふためいたのである。そんな言動と行動が伴わない愚かな私を、花が咲くように口を開けて笑ってください」。

 この詩は良寛が自己を深く見つめた作品と言えます。良寛は生涯に渡り、この詩を反省、そして戒めとして書き続けたのです。

漢詩「十字街頭乞食罷」

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 詩の意味は「(三条の)賑やかな街並みで托鉢を済ませ、八幡宮の辺りを歩いた。その時子どもたちが私を見つけ顔を見合わせて話し合う、去年来た変な坊さんが今年もまた来たよと」となります。

 この詩は良寛の好きな作品のようで、屏風などでも多くの遺墨が伝わっています。良寛のことを「変なお坊さん」と恐れることなく呼び、再び一緒に遊んでもらえることを期待している気持ちが伝わってきます。良寛が子どもたちにどのように接していたのかが覗えます。いつも子ごもたちと手毬をついて遊び「てまり上人」と呼ばれた良寛の姿が垣間見える作品です。